pessimism、またはelegyについて

私は今悲しみと己についた匂い、もとい臭いのままに全てをぶちまけたい衝動に従ってこの文章を書き連ねる事にする。

 

ここでお察しのかたもおられようが、満洲の臭いである。

 

 

私は今日、11時間の勤務を終えた後、上司との食事(こちらは非常に有意義で楽しいものだったが)を終え、家路に急いでいた。

ご存知の方もおられようが、現在私の住む名古屋という土地は渾然一体とした地域でありこの世の宝である子供達の集うショッピングモールの横に泡風呂が並んでいるような近代都市とは程遠い土地であるという前置きをしておく。

 

通勤は5km程度と運動に丁度良い距離であり、脇目も振らず帰れば15分から20分程度の時間で行き来することが出来る。

 

脇目も振らず帰れば。

丁度私は今日肉とニンニクをしこたま食し、嫁も遊びに東京へ向かい、またお金も時間も余裕がある状況。

社会人が遊びに言い訳ができる要素を全てに於いて持っていたことが不幸を呼ぶ切欠となったのである。

 

10年ぶりに風俗でも行くか

 

ネオン看板を横目に、不安を抱えるもう一人の自分を打消し、期待感を高める全てを含んだ独り言であった。

そうと決まれば店探し、食べログよろしく口コミと先輩の残した金言「60分20000円がボーダーやで」を脳裏に浮かべつつ近場の条件に該当するお店に入店した。

 

薄暗い、久々の空気感である。初めてですかとの問いかけに、正直に答えると店舗内のご同輩も不安と安心とないまぜになったような表情を浮かべ、意味不明な連帯感を感じた。

恋人プレイ、目隠しプレイなどなど選べるオプションを淡々と選ぶご同輩とお勧めされるがまま恋人プレイを選択する私。

ここでもNOと言えない生来の生粋日本人要素を曝け出しつつ、怪物が私を襲ったとしても、最悪抜ければいいか、などという謎の自信を持ちながら店員の呼びかけを待った。

 

ダダが来た。

 

のっけから不安を煽る4頭身のフォルムである。

パネルで選んだ黒ギャルは何処へやら、黒くもなければギャルでもない。往年のトルコ風呂時代を思い出させるような陰鬱な雰囲気。

不幸がエラを背負って歩いている、そんな様子の雌である。走馬灯のようにダダは雌だったのかなどと現実逃避も束の間、裸にされる私。

恥ずかしいからまじまじみないで〜との嬌声は小さく薄暗い部屋を照らしてはくれなかった。

電気を落とすのは夜這いプレイのみ、出来るだけ光量を落としてもらった光ですら、ありありとダダのシルエットを映し出している。

正気にならないよう自分を鼓舞する。

抜ければいい、抜ければいい、抜ければいい、、、

 

抜けないのである。

 

口も手も身体も痛いばかりで終わる気配すら見えず。

臭いばかりの場所を、ダダから交替と言われるがままにダダを舐める私。生気を吸い取られてゆく私。

 

潤滑剤を使い、腰を揺らされようが何をされようが意気消沈した私の満足が見えないまま店内には安いアラームの音が鳴り響く。

ダダにも疲労の色が見え、しょうがないにゃあの一言とともに手慣れた仕草で絶縁素材を付けるダダ。

もうどうにでもなれ、と加速する私。

 

私は今、何一つ喜びのないまま、臭いも取れないまま、風呂で必死に歯を磨き、身体を洗ってこの文章を書いている。

 

これはただのpessimismではなくelegyである。

 

人生とはかくあるもの、好事魔多し。

多額の費用と引き換えに人は学んでゆくのだ。

この文章が、名古屋で楽しもうとしている人に届かないことを切に願って、結びとする。